戦争体験のない世代は、被爆や平和をどう学べばいいのか。
ー平和学習に取り組もうと思ったきっかけを教えてください。
僕は長崎市で生まれ育ち、被爆者の方々から平和学習を受けられるのが当たり前の環境で育ちました。進学で県外に出て、その環境は長崎だからこそだったんだと気づきました。しかし被爆から80年が経とうとしている今、被爆者の方々の高齢化により、平和学習をしていただくのは徐々に難しい環境になっています。
この状況で、被爆地長崎市が大切にしてきた平和学習を、誰がどのように続けていくのかを考えたとき、被爆者以外の人、つまり私たち世代が、平和学習の文化を残していかなければという思いから平和学習に取り組みはじめました。


ーどのような平和学習をされていますか?
ひとつは、2021年から2023年度にかけて長崎大学 核兵器廃絶研究センター(通称:RECNA/レクナ)で働いていた時に実施した「被爆前の長崎の日常の写真」を集めるプロジェクトです。

このプロジェクトは、長崎で14万人もの人々を傷つけた原爆投下を8月9日だけの出来事で終わらせず、前後の時間の流れも知ってもらうことがとても大切だと考えて始めました。
被爆前の方々の、私たちとなんら変わらない日常写真を見ることで、戦争時代を生きた人たちと、自分たちの多くの共通点を感じてもらう資料を使い、県内外の学校で授業を行っていました。
自分たちと変わらない人々が原爆で傷ついたということが分かることで、「戦争と自分たちは全然関係ないと考えていたけれど、もしかしたら当時の人たちも同じだったのかな」など、そんな視点を持つ時間になればと思って取り組んだものです。
もうひとつは、長崎で暮らす大学生と一緒に、長崎にやってくる修学旅行生や社会人、外国人観光客向けに原爆資料館、爆心地公園、平和公園を案内するフィールドワークツアーです。


参加者からすると年齢も感覚も近い人たちから、平和について考える時間を共有してもらえるという良さがあります。原爆を体験した方々がガイドする学習プログラムとはまた違った視点でガイドすることで、平和学習に多様性を持たせることができます。
また、実は長崎市には、平和活動をしている若者がたくさんいます。だけど多くはボランティアでやっている若者が多いんです。それを「仕事」という形で担ってもらうことで、活動を長く続けられる場を提供しています。

世界の人たちに長崎市から平和を発信している。
100年に一度のまちの上に広がる、新たな平和学習の輪。
ー平和学習の活動の中で実感している変化はありますか?
新幹線の開業で、私たちが活動してる原爆資料館や平和公園にやってくる外国人は明らかに増えています。それは、長崎市にいながら世界に長崎のことを発信できる環境が揃ってきたということです。世界の平和をつくる活動においても大きなメリットです。

また、長崎スタジアムシティができたことによって、相手チームのサポーターの方々が長崎市にやってくるようになり、試合の前後に平和学習をしてくれる人たちが増えました。今まで長崎市に来たことがない人たちが来てくれるきっかけをつくったという意味では、私たちにとっても大きな変化だと思います。


その長崎スタジアムシティで「地球市民フェス2024」というイベントを開催しました。平和を長崎の文化にするために、トークショーやワークショップ、音楽ライブなどを通して、被爆者が大切にしてきた「地球市民」という、国や人種を超えて物事を考える視点を共有することを目的にしたイベントです。
ライブもでき、飲食できるスペースもあり、天候を気にせずにイベントを開催できたのがよかったです。

(長崎スタジアムシティ ハピネスアリーナにて)

平和学習が、その後の人生の過ごし方を変える。
ー保育園の子どもたちにも、平和学習を提供されているんですよね。
はい。子どものうちから、自分たちが暮らすまちがどんなまちなのかを知ることが大事だと思うんです。特に、この僕が住んでいる浦上エリアは、原爆が投下された当時にも保育園や幼稚園、小学校がありました。
自分たちが今いる場所が、実は同じ世代の人たちが原爆によって命を奪われた場所なんだということを知るだけで、その後の時間の過ごし方の質が変わるのではないでしょうか。

例えば、もしかしたら原爆で亡くなった子どもたちも、同じように運動会をしていたのかな?ということを考える機会に繋がるかもしれません。
このまちで暮らしていくからこそ、このまちで何が起こったのかを知っておくことが、歴史を学び、自分の人生をより良くするためのヒントになるのではないかと思い、幼稚園向けにも平和学習の機会をつくるようにしています。
ー子どもたちからはどんな反応や感想がありますか?
児童は、「なんで人が争うんだろう」とか、「なんで人に嫌なことをするんだろう」というような、大人がはっとするようなことを質問してくれます。
これが中学生ぐらいになると、「国連という組織や国際法があるのになぜ人は争うんだろう」と、違う問いを投げかけてくれます。
ーそれぞれの年齢に応じて反応も感想も違うということですね。
成長によって、感じること、考えることが変わっていくと実感します。なので、年齢や立場が変わるたびに繰り返し平和を学ぶことは大きな意味があると思います。
お子さんがいたり、親戚など、身近に子どもがいたりするかたは、ぜひ子どもと一緒に学ぶ機会をつくってほしいなと思います。長崎市には、「親子記者」という親子で被爆者のかたや、私のような立場の人にインタビューをして、それを新聞にまとめる取り組みがあります。
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また、図書館などでは戦争や原爆の絵本の読み聞かせが開催されています。調べてみると、親子が一緒に学ぶ機会はたくさん提供されてます。

親世代になると、なかなか平和学習の機会はないと思いますが、僕は大人の皆さんに平和学習を学び直しを強くおすすめしてます。大人になり、社会の仕組みが分かった上で話を聞くと、今まで気づかなかったことに気づくことができます。親、責任者、経営者という立場を持っているから、責任感もある。そんな大人が平和学習を学び直すと、子ども時代とは全く違う考えが生まれると思います。
被爆者の方々が少なくなっている今でも、直接、原爆のことについて話が聞ける環境は、やっぱり長崎市の強みだと思います。
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被爆者のかたから学ぶことで、世界中で「いつか使われるかもしれない」と懸念される核兵器が、実際に使われたらどんな人生を歩むのか、まちはどんなふうに壊され、どのように復興したのかを知ることができます。戦争の被害からどのように人としての人生を取り戻していったのかということを考えるということは、発展的な平和学習にもなります。
まだまだ被爆者の方から話を聞く機会はあるので、もう一度話を聞いて、今しか考えられないことを子どもさんと一緒にたくさん考えてほしいと思います。
長崎市の「歴史」や「人」に、今の時代を生きるヒントを学ぶ。
ー「学びの場」としての長崎市に、どんな可能性を感じていますか?
原爆資料館や平和公園に限らず、開港にまつわる歴史など、多様性や多文化共生を考える機会がたくさんあるのが長崎市です。
出島があり、外国人の方々が居留地にいた長崎の歴史を紐解いていくと、まちのいたるところで人種や文化の違いで小さな争いが起こっていて、その都度ルールができたり、対応したりしているんですね。
長崎市の外国人との共生の歴史にも、現代社会の多様性、多文化共生のヒントがあるはずだと思います。長崎市の歴史から、今の時代に必要な価値観や考え方を学べると考えています。これは「平和」にもつながる学びです。

これだけグローバル化が進んで、世界の人たちとビジネスや交流をするのが当たり前になってる世の中で、お互いの違いを違いのまま認め合うこと。そして、「生きていく」とはどういうことなのかを学べる長崎市のポテンシャルは、国際化の時代における大きなアドバンテージだと思います。
平和学習にとどまらず、長崎市の歴史そのものから、今の時代を生き抜くために必要なスキルや考え方が身に付けられるということを知ってほしいですし、その点に「長崎市ならではの学び」として期待を寄せています。
(終)
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