ーどのようなきっかけで現在の活動を始めたのか教えてください。
僕が長崎大学に入学した2020年は、ちょうど、新型コロナウイルスの感染が拡大した頃でした。講義はオンラインとなり、サークル活動や学生同士の集まりもできない状況でした。大学で友だちに会うのはもちろん、人と接する機会そのものがものすごく減りました。

そんな状況をなんとかしたくて、人が集まって楽しめる場づくりしたいと思い、友人と「ピオニール」という空間づくりのユニットを立ち上げてイベントなどを企画し始めました。ピオニールはオランダ語で先駆者、パイオニアの意味です。先頭に立って何かしようという思いを込めました。
ー主に、どんな活動をされているんですか?
いちばん多いのは、音楽に関するイベントです。子どもの頃から音楽が好きで、自分が好きな音楽をみんなとシェアしたいという思いがありました。
「楽しめる空間づくり」を目的として、イベントを企画・実施したり、DJをしたりしています。イベントのポスターなども自分でデザインしています。

活動を始めた頃はコロナ禍だったこともあり、認知も集客もあまりできなかったのですが、逆にコロナ禍だったからこそ同じような取り組みをやっている人が少ないので「見つけてくれる人」がたくさんいました。都会で同じことをしても埋もれてしまうと思いますが、ローカルのメリットは行動すれば目立てること。世代を超えて応援をいただきましたし、地元の新聞社やメディアにも取り上げられました。
今では、一気に認知が広がり、僕よりも年下の若い世代のお客さんが増えて、平日のイベントでも100人以上集まることもあります。

ー実際にクラブでのイベントに行きましたが、すごいにぎわいでした!正直、「長崎市にこんなに若者が集まる場所があるんだ」と驚きました。
ありがとうございます。音楽、ファッションなど若い人たちの刺激になるようなカルチャーを長崎市でつくりたいと思っています。特別な日だけでなくて、日常的に触れられるようになればと思っています。
長崎には何もないと思っていた
ー若者にとって刺激になるカルチャーをつくりたい、という想いはどこから生まれたのでしょうか。
悔しくも、多くの若者と同じように「長崎には何もない」と思っていました。僕が好きな音楽やファッション、そういったカルチャーを楽しめるイベントや、お店が長崎には無いと感じていました。コロナ禍だったこともあって余計にそう思っていたのかもしれません。
でも、当たり前のことですが、不満を言っていても何も変わらないんです。だから自分が先頭を切って動こうと思いました。


ーカルチャーと聞いて東京などの都市部を浮かべる人は多いと思います。都会に行く選択肢は浮かびませんでしたか?
福岡や東京などの都会に出る選択肢もあると思いますが、僕はやっぱり地元である「このまち」で、何かをつくって、みんなでシェアしたかったんです。長崎市ではそれができると思ったし、今も思い続けています。
どこにでもあるまちではなく、「ニッチなまち」へ
ー若者の流出という課題について、同世代の春田さんはどのように思いますか?
今、長崎市が抱えてる人口減少や若者流出などの問題を抜本的に解決するのはすごく難しいことだと思うんです。
もちろん改善しないといけないと思うけれど、この現実をちゃんと受け入れた上で、長崎市がどんな方向に行けばいいのかを考える必要があると思っています。
個人的には、「ニッチ(独自性のあるまち)になる」ことが重要だと考えています。福岡や東京の真似をして、都会の小さいバージョンのまちをつくってもしょうがないと思うんです。結局、全国どこにでもあるまちの一つになってしまう。
それよりも、「長崎は日本で唯一のまち」と言われる方がいいと思うんです。例えば、長崎のまちにはかつて、唯一世界に開かれた出島という場所があったりします。そういった唯一無二の特徴を活かすことができれば、まち全体でニッチなものを目指していけると思います。
ー長崎市でニッチさを感じる場所をひとつあげるとしたらどこですか?
自分の中で、とても印象的なのが、築町市場の地下空間です。
2023年6月、長崎市の協力で築町市場を借りてイベントを開催したのですが、地下の市場空間なんて、福岡でも東京でもそう簡単にはありません。そこで音楽を思いっきり鳴らしたり、普段食べられないような食べ物を楽しんだりして、ものすごく特別な体験を参加者と共有できました。その場所が持つニッチ性を活かすことができたからこそうまくいったイベントだと思っています。



「遊び」で生まれる、新しい「世界」
ー春田さんが考える遊びの魅力について教えてください。
イベントを開催すると、最近はたくさんの若い人たちが来てくれます。僕と同世代だったり、それより下の人たちです。学校に通ってる人は学校というコミュニティに属しています。社会人であれば職場のコミュニティがある。家庭というコミュニティもある。さらにそれらのコミュニティに加えて、趣味を通じたコミュニティがあれば、日常の世界がもっと広がると思うんです。
イベントで出会った人同士で仲良くなったり、日常的に遊びに行く関係になったという声はよく聞いています。

人生に「遊び」は大切だと思います。長崎市で遊びの選択肢が増えて、一緒に遊ぶ仲間や場所がたくさんあるということは、人生を豊かにしてくれることだと思っています。だからそういう場所をもっと増やしたいです。
ー春田さん自身が「遊び」で得たものはありますか?
世代を問わずにいろんな人と繋がれたことです。そこから新たな遊びが生まれています。
人との繋がりは大きな力を持っています。僕だけの力じゃできないことがもちろんあるし、自分の好きなものだけでは広がりにも限界があります。そこに、いろんな人のエッセンスが加わっていくことで、新たなカルチャーシーンが広がっていくというのは間違いありません。

また、存在を知ってくれた人や地元企業から、イベント企画やデザインの「仕事」をいただくようになりました。
ー遊びから仕事が生まれたんですね。
100年に一度のまちの変革と、遊びかたの変革
ー長崎市は100年に一度のまちの変革期ですが、春田さんの活動に変化はありましたか?
ありました。クラブで開催していたDJ活動ですが、まちの変化の恩恵はすごくあります。 新しく広がったかもめ広場と駅前広場や、長崎スタジアムシティ前面の高架下広場で音楽のイベントをし活動の幅が広がりました。
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ー今の長崎市に、県外から友達が遊びに来たらどこに案内したいですか?
まずは長崎の大きく変化した場所として、新しくなった駅周辺を案内したいですね。そして、長崎市には歴史ある名所もたくさんあります。浦上天主堂などを案内して、夕方から夜にかけては、浜町エリアでセレクトショップだったり古着屋さんを巡って、地元の人が行くニッチな美味しいご飯屋さんへ。最終的にはまちなかのクラブで長崎の音楽カルチャーを紹介したいです。

ー最後に、遊び場としての長崎に感じる可能性を教えてください。
長崎市だけの歴史や文化があるように、長崎の遊びも独自に成長していったらいいと思うし、それができるまちだと思います。僕は「ニッチなまち」を目指して活動を続けていきます。

(終)
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